「おみ〜!!おみ〜〜!!どこいったの〜?」
アテナ城の中で、小さな影が一つ、廊下を歩いていた。
夏南と千早の子供で双子の妹、麻和(まお)だ。
頭に母親特性の猫耳飾りを付け、トボトボと淋しそうに歩いている。
時折呼びかける声は、自身の双子の兄・緒巳(おみ)を探すためのものだった。
二人は聞き分けがよく、両親が討伐に向かうということを訊くと親が言い出す前に良い子で待っていることを約束した。
3歳にしてはしっかりしているとよく言われていた。
ちょうど灯摩の兄が城へと非難していたのが発覚した為しばらく彼と一緒に過ごしていた二人だったが、彼は男手が必要という要請を受けて行ってしまった。
その時に麻和は緒巳がいないことに気付き、こそこそと部屋から抜け出してきたのだ。
窓から見える空は青く、気持ち良さそうなのに、外に出られないことをつまらなく思いつつ麻和はそのまま歩き続ける。
と、その時丁度見えた城の中庭に頭に猫耳を生やした子供が立っているのを見つけた。
「いた!もうおみってば!おにいちゃんのくせにいっつもどっかいっちゃうんだから!」
プリプリと怒りながら、麻和は中庭に向かって走っていった。
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「もう!おみ!なにしてるの?おそとでちゃいけないっていわれたでしょ?」
タカタカと走ってくる麻和に気付き、緒巳はその耳をピクリと動かした。
彼の耳は麻和とは違って神経の通った正真正銘本物の猫耳である。
「まお、なんでここきたんだよ?おんなのこはなかにいなきゃなんだぞ?」
まるで自分が男だから出ていいとでも言いたげな表情で言う。
「おみはまだこどもでしょ!?おんなこどもはかくれてろって、へいたいのおじさんにいわれたじゃん!」
麻和が負けじと言い返すが、緒巳は違う方向に耳をピクリと動かし、そちらに振り向いた。
「?どしたの?」
少し怖くなって麻和は緒巳にくっつく。
「だれかきた。」
緒巳が呟くと、次の瞬間二人の目の前に花びらが舞い落ちた。
そしてそれに続くように、ジキタリスが姿を現す。
「…おねえちゃん、だれ?」
聞く緒巳に気づくと、ジキタリスは二人に冷たい目線を向ける。
「……あんた達に聞きたいことがあるわ。」
緒巳の質問は無視してジキタリスは口を開いた。
しかし緒巳は首を振る。
「いまはすごくたいへんなときだから、バーサーカーのおねえちゃんにユーリンおねえちゃんのいばしょおしえるのはだめなの。」
何から察したのか、緒巳はジキタリスがバーサーカーであることを言い当てた。
そのことにはジキタリスも驚く。
何せあの灯摩たちですらも、彼女と初めてあった時には人間と見間違えていたのだから。
天術というものが存在している限り、彼女が突然現れたとしても普通のことだった。
それに…
「何あんた…どうしてわかったわけ?私が…ユーリン・メイヤードを探しているって…。」
まさかこんな子供にまで知れ渡っているのか…と少しだけ不審にも感じた。
緒巳はそんなジキタリスに笑顔を向ける。
「だって、おねえちゃんとユーリンおねえちゃん…にてるもん。でも、ユーリンおねえちゃんのほうがかわいいや。」
「……はぁ?」
その突拍子も無い台詞に、ジキタリスは怒るよりも呆れてしまう。
自信満々に言ってニコニコ笑っている緒巳の後ろで、麻和が必死に似てないよ〜と慌てる。
「…大体、そうだとしても納得出来ないわね。あんたの言う大変な時なら、何であんたらみたいなガキが外にいるのよ?それもあれ?私が来ることがわかっていたとでも言うわけ?」
うんそうだよという返事が返ってくるのではという僅かな想像も込めて問う。
しかし緒巳は首を横に振った。
「ううん。それがね?たしかにおねえちゃんのけはいもかんじてたんだけど…違うんだ。もっともっとこわいひとがここにきてるようなきがして…。」
「?もっともっと怖い人?」
ジキタリスは首をかしげる。
その時、背後の茂みがガサガサと揺れる音が響いた。
「!!!きた!!」
緒巳がしっぽを立てて叫ぶ。
ジキタリスもそちらへと視線を向けた。
「?誰が来たの?」
そこには喜癒が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「貴様は…あの時の坊や…!?」
「あれ?誰かと思えばバーサーカーさんじゃないですか。こんなところまで来て…。」
警戒しているように言い、十字架を構える。
対抗するようにジキタリスもロッドを構える。
「緒巳くん!麻和ちゃん!こっちへ!その人はバーサーカーなんだよ!?」
喜癒にこちらに来るように促され、麻和は慌てて喜癒に向かって走り出す。
「ダメだよ!!まお!!」
「にゃっ!」
そんな麻和の手を掴み、緒巳はこちらへと麻和を戻した。
「なんで!?ダメなのはおみのほうだよ!あのおにいちゃんのいうこときかなきゃ…。」
「あのにいちゃんのほうが…このおねえちゃんよりもこわいんだぞ!」
言いながら緒巳は喜癒を睨みつける。
「…あっちいけ!!どっかいっちゃえ!!」
そう叫び、遂には喜癒に石を投げる。
喜癒は慌てた様子でその石を払い除けた。
「…だめじゃないか!人に向かって石を投げるなんて……。」
最初困ったようにそう言い、俯くと、自分の眼に手を触れる。
そしてバッと顔を上げた。
「気に入らないな…。」
そう言った顔は、喜癒とはまるで別人に思えるほどに大人びており、狂気に満ちていた。
「その小さな身体に宿るには…随分と勿体無い力だな……。子供。」
一瞬でその姿が消える。
そしてその身体は緒巳のすぐ近くに再び現れた。
「!!」
「消えてなくなれ…っ!!シャレム!!」
叫び、風を斬る勢いで十字架を振った。
ガキンッ!!
それが緒巳に当たるすれすれで、ジキタリスが止めた。
「ほぉう…人間を助けるのか…。バーサーカーのお前が!!」
強く十字架を押し、後ろに飛ぶ。
喜癒はいつの間にか紅の服を身に纏い、背中には黒い6枚の翼を生やしていた。
「……バーサーカーだから何だって言うのよ。」
ボソリとジキタリスは呟く。
「お前のような奴が、何故そんなガキを助けるのだ!!情でも湧いたか!?」
嘲笑うように喜癒が叫ぶ。
緒巳は麻和の手を引っ張って、ジキタリスの後ろに隠れた。
「…理由なんて…ないわ。」
言いながら、ジキタリスはちらりと後ろの二人を見る。
「そう…理由なんてない。…こいつらを助けてやる理由も…。」
キッと喜癒を睨む。
「あんたを好きにさせといてやる理由もね!!」
叫び、ロッドを振り回しながら喜癒に向かって走る。
「ふんっ!下等な生き物の分際で…天使である私に歯向かうか!!」
振り下ろされたロッドを、十字架で簡単に受け止める。
「―――っ!!」
「…思い出すなぁ。初めてお前と喜癒が会った日のことを…。」
ヒラリと動き、十字架でロッドを払う。
「!」
突然支えを失い、ジキタリスの身体は傾いた。
「お前は弱かったな。」
ゴッッ
「っくはっ!」
後頭部を十字架の先で突かれ、ジキタリスは悲痛の声を上げた。
「所詮は出来損ないだな。」
十字架を振り、ジキタリスの腹に打撃を与える。
「ぐっっぅ…!!」
ジキタリスは口から紅い花弁を吐いた。
喜癒はそんな彼女の髪を掴み、持ち上げる。
「バーサーカーとしても…そして人間としてもだ。」
そのまま手を放し、一瞬だけジキタリスが宙を浮いた所へ強い蹴りを放つ。
「……っっ!!」
ジキタリスの身体はまるで木の葉のように宙を舞った。
高い位置に飛ばされ、後は重力に従って地に向けて落ちる。
しかしその時、小さな影が走った。
「…『くうごじゅうてん』!!」
叫んだのは緒巳。
微量ながらも彼の使った天術の力により、ジキタリスの落下速度は遅くなり、静かに地に下りた。
「何…!?」
「……嘘…。」
喜癒は一瞬顔に不審な色を写し、着地したジキタリスは緒巳の方に目をやった。
「おみのばかぁ!!まほうつかっちゃだめっておとうさんにいわれたでしょ!?」
そんな中麻和だけが慌てた様子で緒巳に抱きついた。
「しょうがないだろ!?あのままじゃおねえちゃんがいたいことになってたんだから!」
そんな麻和に緒巳は怒鳴る。
「おねえちゃん!ぼく、おねえちゃんのちからになってあげる!あんなやつにまけちゃだめだよ!!」
幼い容姿には全く似合わない強い口調で言い、喜癒を睨む。
そんな緒巳を見て、喜癒は吹き出した。
「ふっ…ふふふふ。これはこれは…。どの時代にもいるのだな…。『天才児』というものが。しかも『奴』と同じ獣の耳か。ますます滑稽だ。」
言って背中の翼を大きく開く。
「…ふん。まぁいい。もともとお前たちはからかってやったまでだ。これから本当の恐怖が始まる。私の望んだ理想の世界。ミユと手にする理想の世界。時は来たのだ。数百年の時を経てな。」
怪しく笑い、十字架を構える。
「お前だけは先に潰しておくか。ガキ。」
ゴッという大きな風が起き、喜癒は緒巳に向かって飛ぶ。
「っ!」
「チッ!!」
ジキタリスが間に立ち、受け止める。
しかし喜癒の恐ろしいほどの力に、すぐに跳ね除けられる。
「くっ!!逃げて!!!早く!!」
倒れながら叫んだのはその言葉。
緒巳は近くにいた麻和を巻き込まぬように突き飛ばし、全力で走り出す。
「逃がすか!!」
喜癒が叫ぶと、その手に持たれた十字架の先端が鋭く尖る。
「にゃっ!!」
子供の足で今の喜癒から逃げられるはずもなく、緒巳は足をもつれさせてその場に転んだ。
その隙を見逃さなかった喜癒は緒巳の上に仁王立ちになる。
「おみ!!!やめてぇぇ!!うわぁぁぁん!!!」
自身の双子の兄の絶体絶命の危機を目前にして、麻和は大粒の涙を零して叫ぶ。
そのまま緒巳の方に走り出そうとするが、それをジキタリスがすんでで捕まえる。
「行っちゃ駄目!!あんたまで殺され………っ!!??」
そう言おうとした瞬間、その場に一瞬で広がった強い『気』に気づき、目を見開いた。
「!!……誰だ!?」
喜癒もその『気』に気づき、動きを止める。
そしてその気の放たれている方向に視線を向ける。
いたのは……冬。
「ふゆおばちゃん!!おみをたすけて!!」
その姿を捉えた麻和が叫ぶ。
「ふん。誰かと思えば…ウィンリアの母親か。」
喜癒はくっくと笑う。
そして十字架を振り上げた。
「……その十字架…もしも振り下ろしてみなさい。八つ裂きにしてあげるわよ。喜癒くん。」
ひゅんっと音が鳴り、冬の片手にはレイピアが握られる。
「やってやろうじゃないか!!!!はははははははははは!!!!」
ゴッと音を立て、十字架を振り下ろす。
しかしその十字架は緒巳にあたることは無く、冬の剣が受け止める。
瞬時に自身の前に移動してきた冬に、喜癒は少し驚く。
「…ふん。意外に力を持っているのだな。」
「…喜癒くん。貴方に何があったのかは知らないけど、この子たちに手を出すようであれば…私はこのまま貴方を斬るわ。再起不能になるくらいにね。」
それは普段の冬から出るには冷徹な台詞だった。
その場に長い沈黙が流れる。
緒巳はその間にジキタリスのもとへ逃げ帰った。
冬と喜癒は互いの武器を交差させたままにらみ合いを続ける。
そこへバタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「……―ん。さ〜ん。冬さ〜〜ん!!急にいなくなんないでくださいって!!」
言いながら走ってきたのは、灯摩にそっくりな青年だった。
その時だった。
「………!!!灯摩…さん!?」
青ざめながら発したのは喜癒。
「え?あ、いや…。」
そんな喜癒とカチンと眼が合った青年は、何かを言おうと口を開く。
「……駄目…。もう…駄目です。僕は…。見ないでください!!見ないでください!!」
突然様子が変わり、冬から離れると大きく翼を広げた。
「!?喜癒くん?」
「……行きましょう。貴方の目的は…目指す場所はここではないはずです!早く!!」
言うと喜癒の体が光りだし、眼のくらむような光を放つとその場から消えてしまった。
一瞬静まり返る一同。
「……え〜と…あの〜。何かあったんすか?」
一人状況把握が出来ていない青年が冬に尋ねる。
そんな彼に、冬はため息をついてから答えた。
「…よく分からないけど、とりあえず心配無用な状況にはなったわね。…たぶん貴方のお陰よ、弘志(こうし)。」
「はぁ…?」
弘志と呼ばれた青年は頭に疑問符を浮かべる。
「うわ〜〜〜ん!!!!こーしせんせ〜〜〜!!!!」
麻和が泣きながら弘志に擦り寄る。
「麻和ちゃん!心配したんだよ!先生が帰ってきたら二人ともいなくなってるんだから。ちゃんと待ってるって約束したじゃないか。」
抱きついてくる麻和を受け止めて、冬にするのとは態度を変えてなだめる。
「ごめんなさい〜!おみ〜!おみもあやまりなよ!!」
涙を拭きながら緒巳の方に眼をやる。
緒巳はジキタリスを心配そうに見ていた。
「緒巳?どうしたの?」
そんな緒巳に冬が近づく。
緒巳は泣きそうな顔で振り返った。
「ふゆおばちゃん、このおねえちゃんをたすけて。すごくかわいそうなんだ。」
その小さな手でジキタリスの額を触っている。
触られているジキタリスは、まるで眠っているかのように静かに眼を閉じていた。
「緒巳…。……弘志、彼女を運んであげて。彼女は二人を助けてくれたみたいだわ。どういうわけかは分からないけど、一応恩人をおいておくわけにはいかないもの。」
緒巳の眼をしばらく見ていた冬だったが、何かを決心したように頷きそう言った。
「あ、は、はい。了解です。」
言われた弘志はジキタリスを背中に背負う。
「……どうして…助けてくれるの?……私はバーサーカーよ、貴方のことだって…この前弟たちに襲わせたのに。」
緒巳の手が額から離れたからか、ジキタリスは眼を開いてそう呟いた。
「この前?…あぁ、バーサーカーってことは…それは俺じゃなくて弟の灯摩のことだろ?あの話は聞いたよ。でも、死んだわけじゃないしな。大体怪我してるやつが変な気使うなって。」
そういって笑うと、弘志は歩き始める。
緒巳と麻和、冬もそんな彼に続いて城の中へと歩き出す。
ジキタリスは、そっと気づかれないように弘志の服を握り締めた。