「……ん…。………あ…。」

客室の寝室の中のベッドで、美癒は目を覚ました。

うっすらと見える外を見るともう真っ暗で、壁に掛かっている高そうな柱時計は夜中の2時を指していた。

「……そっか…私、あの後寝ちゃったのね…。」

泣きすぎた所為でヒリヒリする目をこすりながら、美癒はベッドから降りた。

その時、むぎゅっと何かを踏んづけたのに気付いた。

「?」

よく足元を見てみると、そこにはなんとリトレアがごろんと寝転がって寝息を立てていた。

「えぇ!?」

驚いて叫ぶ美癒だったが、リトレアは横になったまま動かない。

辺りに目をやると、リトレアが寝ている足元に同じように倒れた椅子があり、その近くにあるテーブルの上には可愛くウサギの形に切られた林檎が置いてあった。

どうやら美癒を看ている間に眠ってしまい、そのままダイナミックに椅子ごと倒れてしまったようである。

「…プッ…。」

その幼い寝顔に、美癒は思わず吹き出してしまった。

「ふっふふふ。何よもう!可笑しい!」

くすくす笑いながら、美癒はテーブルの上に置かれていたウサギ林檎を一つ食べる。

林檎はとても甘酸っぱく、美味しかった。

美癒は暫くリトレアの寝顔を見つめてみた。

見れば見るほど、31歳とは思えないほど肌が綺麗で、女性のようにまつげが長かった。

「…本当に若くて可愛いわよね…。正直おじさんなのに…。」

軽く人差し指で頭を小突いてみると、リトレアはくすぐったそうに笑った。

「…くすぐったいよ……秋斗。」

そんな寝言まで飛び出した。

「はぁ?何で秋斗隊長の名前な訳?…ふふ、訳わかんない。」

くすくす笑いながら、美癒はベッドに寝直す。

天井を見上げると、細かい綺麗な模様で埋め尽くされていた。

「……………………………………。」

天井では、沢山の小さな天使が楽しそうに踊っている。

「………………………………………。」

天使達が沢山集まっている真ん中には、女神のような美しい女性が微笑んでいた。

「………………………………あ……。」

ふと何かを思い出したように起き上がる。

そしてもう一度リトレアに目をやる。

「そうよ……殺さなきゃ…。」

そう言うと、テーブルに置かれている果物ナイフを掴んだ。

リトレアにまたがる様に腰を下ろし、ナイフの刃先をリトレアの首に向ける。

「こいつを殺さなきゃ、私は天使じゃないもの。…殺さなきゃ。」

勢いをつけるために、美癒はナイフを持った手を上に振り上げた。

「そう…そうよ!私は天使だもの!!殺さなきゃ!あははははははは!!!!!」

そして思い切りナイフを振り下ろ…。

そうとしたが、動きが止まった。

「ダメ!ダメよ!殺すなんて怖いことできないわ!この人を殺したら…皆が…利羅が私のこと今度こそ本当に嫌いになっちゃう!」

しかしまた一瞬で表情が変わる。

「何言ってるのよ!嫌われたっていいじゃない!そうよ!私はシャニーナ様だけの為に生きてるんだもの!あとの奴なんか知るか!!それより続きをしなきゃ!あはははは!!」

「ダメ!ダメ!!そんなことしちゃダメ!やめて!」

一人でそう交互に叫ぶ。

そんな中に、またもう一つの感情が入ってきた。

「二人共ダメ!みゆちゃんもみゆちゃんも、皆お友達でしょ!?喧嘩なんかしちゃダメ!」

「五月蝿いみゆ!!私は天使であるために行動しようとしてるだけなのよ!いつもは引っ込んでやってるんだから、たまには好きにさせなさい!」

その言葉を放った瞬間、リトレアを殺そうとする『美癒』以外の感情が消えたように静かになった。

「そう!そうよ!そのままいつまでも引っ込んでなさい!弱い甘ちゃんなみゆ!臆病なみゆ!さぁ、殺してやる!」

もう一度、今度は先ほどとは比べ物にならないような勢いで美癒はナイフを振り下ろした。

 

カシィィィ――……ン。

響いたのは、金属がぶつかる音。

「――――っ!な!!」

リトレアは、目を閉じたまま拳銃でナイフを受け止めていた。

そのまま、リトレアは目をゆっくり開いた。

「美癒ちゃん…やっぱり…君は…。」

哀しそうな顔で美癒を見上げる。

あれだけ騒げば当然ではあるが、リトレアは美癒が自身を殺そうとしてまたがってきた時から意識があったのだ。

「くっ!!」

美癒は慌ててリトレアから飛び退いた。

「……やっぱり…千早の言ってた通り…君はいくつもの人格をもった子だったんだね。」

拳銃を腰のホルダーにしまいながら、リトレアは立ち上がる。

「ふふふ。だったら…どうだって言うのよ!!!」

美癒は叫びながら、ナイフを構えてリトレアに走る。

一直線に向かってくる美癒に対して、リトレアは右手を前に出した。

そして次の瞬間、美癒のもつナイフの刃の部分を手で掴み、受け止めていた。

「!!」

刃を直に掴んだ手のひらからは、赤い血がどくどくと流れてくる。

「リ…リトレア様!!」

それを見て、美癒は彼を殺そうとする『みゆ』を止めていた『みゆ』になった。

「どうして!!貴方なら避けられたはずじゃないですか!!」

震えながらナイフから手を離す。

リトレアはナイフを床に捨てた。

「…わからない…。でも…一度でも俺が傷付けば、『みゆ』ちゃんは治まるんじゃないかって思ったから…。大丈夫。天術使ったから、あんまり痛くないよ。………それより…。」

言いながらリトレアは美癒に近付き、そのまま美癒をぎゅっと抱きしめた。

「――――――っ!!」

突然のことに、美癒は硬直する。

「……ごめんね……。君の方が…こんな傷よりもずっとずっと痛い思いをしてるはずだよね…。ごめんね…美癒ちゃん…。」

震える腕に力を込め、リトレアは言った。

「………して…どうして…貴方が謝るんですか……?貴方は何もしていないじゃない…。どうして…。」

美癒はリトレアの腕の中で涙目になりながら言う。

リトレアは首を振った。

「たとえ俺が何もしていないとしても…それだけで罪なんだ。君を苦しめているシャニーナは、全部俺の為に君を利用してる…。それだけで…俺は罪になるんだ…。…勝手な大人の都合で……子供を苦しめて…それだけで…。」

「…………リトレア様…?」

美癒は気付いた。

リトレアは泣いていたのだ。

「………昔…俺の知ってる人もそうだった…。勝手な大人の都合で、心も身体もボロボロにされて…振り回されて…君みたいに自分の中に沢山の人格を作ってしまった…。

高熱をだしたり吐いたりもしてたのに…その大人はその人をそれでもなお振り回した……。それでもその人はめげずに…精神不安定になりながらも耐えて…耐えて…自分達を信じる国民のためにって……。」

「………リトレア様……その人って…。」

リトレアは美癒の言葉が聞こえていないようで、言い続ける。

「あんな大人にだけはなりたくなかったのに…なってるつもりなかったのに…結局…君っていう純粋な子供をめちゃくちゃにしちゃった…。ごめん…ごめん…。」

そんなリトレアを見ていた美癒の表情が、今度は幼い雰囲気に変わった。

「…………泣かないで、リトレア様。大丈夫。みゆちゃんは強い子だから…。私が一番よく知ってるの。」

「…え…?」

声の雰囲気の変わった美癒に、リトレアは顔をあげる。

「『私』はね?本当はシャニーナ様なんてもうどうでもいいの。とっくに。怖いのは…裏切られているかもしれないってことじゃない。みゆちゃんは…。」

一呼吸おいて、美癒は口を開いた。

「ただ…死ぬのが怖いだけなの。」

「……美癒ちゃん…。」

美癒は首を振った。

「私はね?『美癒』じゃないの。私の本当の名前は、『深由(みゆ)』っていうんだよ。」

にっこりと笑って、リトレアからふわりと離れながらくるりと回って見せた。

「深由…ちゃん?」

「そう。私が一番最初に生まれた、言っちゃえばオリジナルの『みゆ』の人格なの。普段の『美癒』ちゃんは、三番目に作り出された一番バランスの取れた『みゆ』なんだよ。美癒ちゃんはどの『みゆ』よりも一番強いから、普段は私たちを押さえ込んでるの。

でも今はダメ。美癒ちゃんの精神がとっても不安定だから、私やさっきの怖いみゆちゃんや弱いみゆちゃんがこの体の中でめちゃくちゃになっちゃってるの。」

リトレアは涙を拭き、真剣な顔で深由をみた。

「お願い。この後また暫くは私が怖いみゆちゃんだけでも押さえ込んで、何とか一晩は終わらせるから。だから…朝になったら…一番にシャニーナ様の所に連れて行って。美癒ちゃんは物事をちゃんとまん前から受け止められる子だから、裏切られていたとしても、それを強く受け止めて、立ち直れると思うの。お願いします。」

そう言って、深由は頭を下げた。

リトレアはしばらく黙った。

黙ったまま、ぎゅっと拳を握っていた。

しかし、すぐにその手を緩めた。

「…わかった。わかったよ、深由ちゃん。君の存在を、沢山のみゆちゃんの存在を、そして美癒ちゃんが立ち直れることを信じる。だから…今日はもう休んで…朝になったら、出発しよう。」

彼の答えに、深由は安心したように微笑んだ。

そしてベッドに横になる。

「リトレア様。あとは大丈夫ですから、どうぞ私室に戻ってください。貴方がいると、また怖いみゆちゃんが暴走してしまうかもしれないから。」

そう言われ、リトレアは頷いてからドアに向かって歩き始めた。

「あの…。」

そんな彼を深由は呼び止めた。

「?何?」

振り返って問う。

「……さっき言ってた人って…一体誰なんですか?聞いてもわからないかもしれないけど、気になって…。」

その質問に、リトレアは苦笑いを浮かべた。

「その人はね。俺に一番近い人。今のこの世界で、唯一俺と血が繋がってる人だよ。」

そして、哀しそうな顔でそう答えた。

 






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